◆旅行日:2018年6月12日(火)~14日(木)
◆日程:二泊三日
◆訪問する世界遺産:琉球王国のグスク及び関連遺産群(首里城跡、園比屋武御嶽石門、中城城跡、勝連城跡、識名園、玉陵)
沖縄旅行ブログ(世界遺産旅行記)のその11です。
※前回の記事はコチラ
「世界遺産勝連城跡休憩所」から勝連城跡に向かいます。
乗ってきたバスが走る通り(県道16号)を渡りましょう。
■勝連城跡
勝連城跡の入り口に到着です。
城跡に向かう本来の入り口は工事中(?)か何か使えないとのことで、こちらの道から向かいます。
とにかく城跡までは急な坂道なので、焦らずゆっくり上っていきましょう。
坂の途中にあった防御田地の説明板です。
かつてこの辺りは「底なしの沼」と言われるほどの湿地帯でした。
侵入者がその湿地帯に足を取られる、すなわち「防御ライン」として想定されていたんだそうです。
このあたりまで上がってくると、勝連城跡の全景が少しずつ見えてきます。
ようやく勝連城跡に到着です。
なんとも荘厳な眺めですね。
勝連城は阿麻和利(あまわり)が居城したとされている城で、沖縄の城の中でも最も古いとされています。
※12世紀頃と伝えられています。
世界遺産碑のすぐそばにある、門口のカー。
※門口は「じょうぐち」は読みます。
「カー」とは水源である泉のことで、まさに暮らしの中心となっていた場所です。
その昔、訪問者が城内へ入る前に、手足を清めるために使用していたとされています。
こちらはウタミシガーです。
「ウタミシ」はお試し、「カー(ガー)」は泉という意味です。
旧暦元旦の初拝みの際、この泉の水量で一年の豊作・凶作を占っていたんだそうです。
勝連城跡は、上部から一の曲輪・ニの曲輪・三の曲輪・四の曲輪という構造になっています。
複数の泉がある、現在いる場所が四の曲輪です。
それでは城の最上部、一の曲輪を目指して上っていきましょう。
この勝連城独特の、右旋回の階段に関する説明板です。
それぞれの曲輪を結ぶ石階段は、城壁に沿う形で、右側から旋回して上るようになっているのが特徴です。
これは敵の侵入を防ぐ工夫だったと考えられています。
一の曲輪に行くまでは、とにかく急な階段や足元が悪い石造りの階段などがあるので、履きなれた靴やスニーカーで向かうのをオススメします。
ちなみに私は連れ(嫁)と来たのですが、「むりー」ということで嫁はここでリタイヤしました(笑)
※後で聞いたら、私たちの他にも旦那さんだけ行かせている女性もいたそうです(笑)
三の曲輪の入り口に到着です。
ここにはかつて、三の曲輪の城門(四脚門)がありました。
三の曲輪に入りました。
とても広い空間になっていて、ここでは政治的な儀式などが行われていたんだそうです。
沖縄のグスクの石積みに関する説明板です。
石積みには、自然石を大まかに加工して積んだ「野面積み」、四角い切石を水平に積み上げた「布積み」、多角形の石を亀甲型に積んだ「相方積み」の三種類があります。
野面積み → 布積み → 相方積みと発達しました。
ここ勝連城の石積みは、ほとんどが「布積み」とのことです。
三の曲輪内にある、肝高の御嶽/トゥヌムトゥ。
ここは、王国時代から続く「ウマチー」という年中行事の拝所です。
また御嶽にそばには、トゥヌムゥトゥと呼ばれる、神人たちが腰掛けたと言われる石列があります。
三の曲輪内にある、すり鉢状遺構の説明板です。
水を溜める施設だったと分かっていますが、その用途については飲み水なのか、儀式用なのか、まだ明らかになっていないそうです。
二つ並ぶようにありました。
これは二の曲輪基壇の説明板です。
基壇とは、建物の基礎になる石や、土で一段高く築いた場所のことです。
二の曲輪と三の曲輪の境は、ほぼ一直線に造られていて、その長さは南北約41mになります。
三の曲輪から海をのぞみます。
ちょっと雲が多いのが残念ですが、きれいな景色ですね。
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