紀伊山地の霊場と参詣道|文化遺産|今日もどこかの世界遺産

■基本情報

・世界遺産登録年:2004年

・文化遺産

【構成資産】

吉野山、吉野水分神社、金峯神社、金峯山寺、吉水神社、大峰山寺、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社、青岸渡寺、那智大滝、那智原始林、補陀洛山寺、丹生都比売神社、金剛峯寺、慈尊院、丹生官省符神社、大峰奥駈道、熊野参詣道(中辺路、小辺路、大辺路、伊勢路)、高野参詣道(町石道、三谷坂、京大坂道不動坂、黒河道、女人道)


紀伊山地は本州最南端、太平洋に張り出す紀伊半島に位置し、標高1,000m~2,000m級の山脈が縦横に走り、年間3,000mmを超える豊かな降水量が深い森林をはぐくむ山岳地帯です。
紀伊山地は太古の昔から自然信仰の精神を育んだ地で、6世紀に仏教が伝来した以降、紀伊山地は真言密教をはじめとする山岳修行の場となりました。中でも、山岳修行により超自然的能力を獲得することを目的として10世紀中ごろから11世紀代に成立した修験道は、特に大峰山系の山岳地帯を中心的な修行の場としていました。また、9~10世紀に広く流布した「神仏習合」思想(日本古来の神々は仏教の諸尊が姿を変えて現れたものとする日本固有の思想)の聖地としても信仰を集めていました。
さらに、10~11世紀頃の日本では「末法思想」(仏法が衰え世も末になるという思想)が流行し、死後に阿弥陀仏の居所である極楽浄土に往生することを願う「浄土宗」という仏教の教えが貴族や庶民の間に広まりました。これに伴って、都の南方に広がる紀伊山地には仏教諸尊の浄土があると信じられるようになり、この地の霊場としての性質がいっそう強まりました。この地方の神聖性がことさら重要視されるようになった背景には、深い山々が南の海に迫るという独特の地形や、両者が織り成す対照的な景観構成などが大きく影響していたものと考えられています。

このような特有の地形及び気候、植生などの自然環境に根ざして育まれた多様な信仰の形態を背景として、「吉野・大峯」、「熊野三山」、「高野山」と呼ばれる顕著な三つの霊場とそれらを結ぶ「参詣道」が形成されました。

引用元:文化庁「世界遺産(文化遺産)一覧」


■構成資産の場所

観光などで訪問した際にご活用ください。

※マップ上の位置については誤差・間違い等も考えられますので、あくまでご参考程度にご覧ください。